新入生オリエンテーション
4月2日に入学式が行われ、世界教養学科には106名の学生が入学しました。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
入学式後、学科のオリエンテーションを行いました。学科長挨拶や諸連絡に加えて、モリソン先生から教養とは何であるかというテーマでスピーチをしていただきました。この全文を載せておきます。
新入生の皆さん、これからの大学生活を有意義に過ごしてください。
もりそん らいあん
世界教養学科、専任講師
「世界教養」や「liberal arts」とは何ぞや
新入生達の皆さん、ようこそ。世界教養学科(来年度から学部)にご入学おめでとうございます。僕はアメリカ出身のモリソンです。日本文学・世界文学を専門にしています。これからよろしくお願いします。
さて、世界教養。world liberal arts。なかなか格好良く響きの良い名称ですね。でもそれは何を意味するのか。それを学生に聞くと必ずしーんとなる。分かる人は殆どいないのです。
Liberal arts. ラテン語では「liberalis ars」。フランス語では「les arts libéraux」。ドイツ語では「Humanistische Bildung」。その語源を辿ってみると、古代ギリシャに由来している模様です。本来は、奴隷階級の人達ではない自由人たちが得る権利を持つ教育のことを意味する言葉でした。すなわち、肉体労働のためだけの存在であった奴隷達とは無縁の三つの学問、文法、論理学、修辞学を基礎としており、この三つの分野は「人間とは何か」という問いを根源的に追求することが目的です。そこからさらに哲学、歴史学、文学、詩学、文化、言語、数学、音楽学といったものが生まれました。こういった分野の教育を得られることは自分が奴隷でなく自由人であることの証しだったのです。
さて我々の現代世界において自由人向けの教育は必要あるのでしょうか? そもそも我々は自由人なのか?それとも奴隷なのか? 自由人ならば、自由人にとっての教養という概念の意味は何なのでしょうか?
今の世界の権力ある一部の人たちによれば、我々はどうせ奴隷なので、わざわざliberal arts教育を提供する必要はないようです。卒業後、我々は支配階級の一員でない限り、奴隷のごとき者、つまり平凡なサラリーマン・社畜になるので、敢えて今だけその近い将来の事実に目をつぶって学生を自由人扱いすることはもはや時間の無駄だとし、大学から自由人向けの教養教育を廃止しようとしています。そしてその代わりに社蓄にする準備として実践技能育成などに焦点を当てた教育を行う方向へ変え始めています。団塊世代(
なるほど彼らが言うように卒業後に皆平凡なサラリーマンになるのは事実です。どの分野・職種を選んでも、その労働条件はあまり変わらなくブラック企業が多く、日本は労働搾取率において世界の中でも特に酷いようです。しかしそれは日本に限ったことではなく今の世界全体の現実とも言えます。
しかし、一つだけ楽観的に考えられるのは、現在の世界のこのような構造が永遠に続くとは限らないということです。むしろ続くわけがありません。歴史を見ると永遠に続く一つの構造形態なんて一つもないです。ヨーロッパ王国の時代の人々は王国制度が永遠に続くと思い込んでいましたが、結局それもある日忽然と、あるいは長期に渡り世の中から消え去りました。人間が一歩進歩したのです。そしてそれと同様に今後も進歩してゆくのです。
よって、自由人向けの教育をなんとか受けた若者が増えることが何よりも大事なのです。そういう若者が多ければ多いほど、今の暗い時代の暗い現実が変わる可能性が高まります。つまりliberal arts教育・世界教養というのは、より良い世界を作ることが可能になる必要条件と言えます。その種を君たちの中に植えていき、君たちはその種から芽生えたものを、次々に、広くばら蒔いてゆくのです。そうすると世界のありとあらゆる人間が奴隷根性、奴隷状況から自由人精神へ進化していくのです。
この熱いスピーチを聞いて、モリソン先生は頭が可笑しい、モリソンはドン・キホーテのような甘っちょろい理想主義者、モリソンは現実逃避者だ、云々嘲笑する人はいるかもしれません。それを僕は認めます。そしてそれを恥じはしません。なぜならば、今、我々は理念・理想などといったものを改めて考えねばならぬ時代にいるからです。理念・理想たるものを放棄した団塊世代の人々を見て学ぶべき教訓は、人間は理念・理想なしには滅びるということです。60年代の学生運動などで挫折して以来、彼らは理念・理想と関係なしに資本論理に屈服し、我々を暗い断崖に押し進めようとしています。それをくい止めるのは我々若者のみである。(30代後半の自分を君たちと一緒にするのはずるいですが笑)。そしてその崖から落ちてしまうのを防ぐには何が必要か? 言うまでもなく教育。ただの実践的、技術的すなわちサラリーマン準備的、奴隷育成教育ではなく、本格的教育、すなわち世界教養liberal artsの教育に他ならないのです。
まとめていうと、liberal arts教育とは、人間という理性を持つ動物が滅びるか存続するかに深く関わっているのです。極端にいえば、人間が殺しあって滅びるか助け合って存続するかは、この教育が成功するか失敗するかにかかっています。他者の文化、他国の言語、多言語の構造や歴史、そういったことを学問することによって自国の文化・言語・歴史などが分かり、相違点より共通点の方が多いことが分かります。こういったさまざまな知識や智慧(梵:prajñā;wisdom in action)を身に付けることなしには、人間存続は不可能であると僕は思います。野蛮に陥って絶滅するか、liberal arts を学ぶNUFS世界教養学科のおかげで存続するか。その二択です。
四年後に君たちは奴隷・社蓄になりかねないと判りつつも、この奴隷にならざるをえない社会の構造形態を変えていくことを意識し、この素晴らしい大学にいる間に様々な知識・能力・智慧・批判的能力を身に付けるよう頑張って下さい。人生で自分のことを自由ある人間として磨くことが出来るのはおそらく今の時期だけなので、全力を尽くしてください。僕はできる範囲で力となり応援するよう頑張ります。
以上 もりそん